電気の歴史に名を残す偉人の紹介[電気史偉人典] 電気史偉人典では電気の歴史に名を残す偉人たちを紹介しています

アンペール (Ampere, Andre-Marie)

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アンペールという人は

アンドレ=マリー・アンペール アンドレ=マリー・
アンペール

フランス 1775~1836

右ねじの法則ほかを発見

電気学のニュートン

フランスは絹の都リヨンの商業地区、サンタントアーヌ河岸に生まれる。父は裕福な絹商人であった。 村には学校がなく、まったくの独学であったアンペールに影響を与えたのは、トマの”ルネ・デカルト礼賛”、ディドローとダランベールの”百科全書”28巻、ラグランジュの”解析力学”などである。 少年時代に図書館で「オイラーとベルヌーイの本(ラテン語文の難解な数学書)を貸してほしい」と係員に頼み、係員を驚かせたという逸話もある。 ちなみにラテン語は2,3週間で習得してしまったらしい。12歳で微分学に通じたという数学的才能の持ち主であった。

1809年、フランス科学アカデミー会員となり、27歳のとき”賭博の数学的理論に関する考察”を発表して世にでる。 優れた数学的才能の持ち主であったがそれゆえに理解してもらえず、「フランス科学アカデミーで自分の説を支持してくれたのはフーリエただ一人である」だったようだ。

アンペールの主な経歴

1804年、エコール・ポリテクニクの解析学復習教師の職に就く。

1814年、フランス科学アカデミー会員に選出される。 この年の論文中で「同じ温度と圧力の下で同じ体積の気体は同じ個数の分子を含む」と述べており、これが評価されての選出ということらしい。 同様のことを3年前にアヴォガドロが述べている法則である。翌年、エコール・ポリテクニク正教授に昇格する。

1820年、ときにアンペール45歳。アラゴによって科学アカデミーにもたらされたエルステッドの発見を耳にしたアンペールは、いち早く電磁気の研究にとりかかった。 磁力が電線を中心に回転方向に発生するのであれば、ニュートンの作用・反作用の法則より、電流が流れる2本の導体は互いに磁力によって力を及ぼしあわなければならない。 これが”2つの電流の相互作用について”という論文になった。右ねじの法則を決めるためには、電流の方向を決める必要がある。 電流の向きを知る術がない時代にあって、「陽電気が流れる方向を電流の方向とし、磁針の振れによって決定する」とした。 したがって、現在の電流の向きがプラスからマイナスに流れるとされているのは、このアンペールの論文に由来している。 2本の導体間に働く力は、電流の向きが同じ場合は反発力、電流の向きが異なる場合は吸引力であることを発見する。

1822年、2本の導体間に働く力を数学的に確立する。 導体間に働く力の大きさは相互の電流の積に比例し、導体間の距離に反比例する。

同年、等価磁殻の定理、分子電流の概念を提唱する。磁性体全体を取り巻く電流を考えていたアンペールが、親友フレネルの意見を取り入れたものであった。 電流により磁界ができて磁針が振れる。磁針の中にも電流が流れているとすれば、電流のみの吸引・反発で考えることができる。また、円形コイルに電流を流すと棒磁石のように磁極が発生する。ソレノイドの発見である。 棒磁石のなか(分子レベルで)では円形コイルと同じような電流が流れているのではないかと考えたのだが、分子電流の概念は100年後のプランクによる量子論確立まで理解されなかった。

電気力学的諸現象の数学的理論 電気力学的諸現象の
数学的理論

1827年、”実験だけから導かれる電気力学的諸現象の数学的理論”と題した論文を発表する。 当時は、荷電物質が正と負の電荷をもつ二種類の流体からなるように、磁石は二種類の磁荷を持つ流体からなるとするクーロンの説が支配的であった。だが、それでは、電気は電荷、磁気は磁荷によって決まり、両者は互いに関係がないことになる。電荷を持った流体の運動によって磁気力が生じるという発見がアンペールの名を不朽にした。 土台となっている実験は次の四つである。

この四つの実験から、電流の流れている導線の二つの要素の間に働く力の法則を導き出す。 マクスウェルの言葉を借りれば「電気学のニュートン」というほどの成果であった。

アンドレ=マリー・アンペール

青年時代はフランス革命の真っ只中であった。1793年、マリー・アントワネット処刑より一ヶ月ほど後のことになる。アンペールの父親は市庁舎前のテロー広場に設置された断頭台に上げられる。 これは生涯付いてまわるトラウマとなった。1799年、ソーヌ河畔のモンドール村でジュリー・カロンと結婚する。アンペールが晩年に振り返る「幸福だった、たった二年」が始まる。 病弱なジュリーは間もなく世を去り、友人に勧められたジェニー・ポトーとの再婚は2年で破綻し、ジュリーとの息子はサロン女主人レカミエの虜となり、ジェニーとの娘はアル中で借金漬の博打好きと結婚してしまい、 更にはこの男、抜き身の剣でアンペールを脅迫する始末・・・。絶え間ない苦悩と失われていく健康、経済苦のなかで偉大な業績を残したアンペールには驚嘆するしかない。

いつも心が虚ろな様に見えたアンペールは、いかさま師を信用して大金を失ったり、黒板を消したハンカチで顔を拭いたりと、どうもぼんやりした人であったらしい。 フランス学士院では会員仲間であったナポレオン・ボナパルトだが、あのナポレオンに気がつかないということもあったようだ。

後年は少ない俸給を補うためにフランス大学視学長官を終身務め、視察先のマルセーユで客死した。 アンペールの遺骨はバカ息子ジャン=ジャックの墓所に移された。コレージュ・ド・フランスの歴史学教授となり、アカデミー・フランセーズの会員にも選出されたジャンであったが、レカミエ夫人が亡くなるまで彼女の呪縛は解けなかったようだ。 アンペールの墓石にはこう刻まれている。「彼は人間を愛した。彼は素朴で善良で偉大だった」

電流の単位・アンペア

現在アンペールの名は、電流の単位アンペア[A]として、SI基本単位に残っている。

Last Update 2010/08/19

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