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エジソン (Edison, Thomas Alva)

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エジソンという人は

トーマス・アルバ・エジソン トーマス・アルバ・エジソン

アメリカ 1847~1931

電灯の父

メンローパークの魔法使い

個人最高である1093もの特許を持つ

木工加工工場を営む父、小学校の先生を務める母のもと、オハイオ州ミランで生まれる。幼少のころは学校の成績が悪く低脳児扱いをされる。元教員であった母ナンシーはエジソンを退学させ、自ら毎晩読み書きと算数を教えた。「天才とは99%の汗と1%のひらめきである」とはエジソンの残した名言である。

エジソンの主な経歴

1877年、電話器の改良をする。ベルの発明を知ったエジソンは他の仕事を一切放置して電話の研究に取り組んだ。ベルの電話器は送受類似形であったが、エジソンは炭素の圧力抵抗変化の利用を考え、振動板に接して炭素粉末を配置し、誘導コイルを介して電流を流すようにした。電池の電流を電話線に直接流すことがなくなり、これにより電話線の距離を大きく伸ばすことが可能となった。現在使われている電話器の基本原理である。

1879年、白熱電球の発明をする。それまでの照明にはガス灯、次いでアーク灯が使用されていたが、輝度が高くちらつきが大きいアーク灯は家庭用には不向きであった。 融点の高い物質に大電流が流れるとその導体が発光して光源となることが知られており、はじめはフィラメント白金(融点1772℃)を使用していたが、これらはすぐに溶断してしまった。 そこで、3500℃と融点の高いフィラメント素材として炭素に着目したが、これは10分程度で燃えてしまった。

燃えてしまうなら酸素を絶てばいい。アプトンが真空ポンプをプリンストン大学から借りてきて、電球内気圧を100万分の1まで下げたところフィラメントは美しく輝いた。窒素を封入すると寿命が延びることもわかった。 6000種に及ぶ試験素材の中には京都石清水八幡宮境内の竹林から採ってきた孟宗竹も含まれる。スワンの白熱電球が数十時間という寿命であったところ、この竹は1500時間以上も輝き続けた。しかしこれでも100V点灯にはまだ適さず、もっと細くできる素材が求められた。炭素粉を練って伸ばし、これを焼くことにより、100V,114W,14cdの白熱電球が完成する。 直流100V回路に並列接続されるフィラメントの抵抗は200Ωだった。 様々な改良が加えられていく電球。口金のねじは灯油管のねじ式キャップをエジソンたちに改良されて現在に至っている。

1879年、エジソン発電機の開発をする。白熱電球を点灯させるには従来使用していたアーク灯用の発電機では不安定で使用に耐えなかった。出力電圧の安定と効率を向上させる必要があり、改良の結果、効率は従来の40%から90%へと飛躍的な向上をみせ、電圧は配電方式を並列配電方式とすることで安定させた。

1882年、パールストリート発電所運転開始。供給電圧は直流110V。 ニューヨークの商工業集中地区であったパールストリートに発電機6台を並列した540kWの火力発電所を建設し、運転を開始する。 オープニング当日の負荷は顧客数85、およそ400個の白熱電球に電力を供給した。需要家でもあったニューヨーク・タイムスによる白熱電球の評価は、「穏やかで柔らかく、目にやさしい。まるで自然光で書いているようだ」とのことである。 開業時の供給能力は白熱電球1616個程度であったが、同年末には11555個まで容量をアップしている。 5年目までは赤字であったが、中央発電システムが商業ベースで運転可能であることを証明した。

1883年、エジソン効果の発見をする。 学術的な発見よりも、発見を実用的な技術に昇華することを好んだエジソンにとって唯一の純粋な発見である。 フィラメントの近くに金属線をいれて、高電位側に接続すると電流が流れるが低電位側に接続しても電流が流れないという現象である。 片方向にしか電流が流れないという、後の二極管や三極管の発明の種になるものであり、エレクトロニクス開花の原動力となるものであるが、 エジソンにとって目下緊急の課題はフィラメントの性能向上であった。 特許こそ取得するものの大した価値を認めず放置する。 一応、特許はとっておくところがエジソンである。

1883年、送電方式に三線式送電法を採用する。白熱電灯への電力供給にあたり、配電距離が長くなるにつれて電圧降下の問題が無視できなくなってきていた。直流にこだわるエジソンにとって対策は送電線路の太線化であるが、これはコスト面から避けたい選択であった。今ひとつの方法は電圧を上げることである。 ケーブルをマニラ麻でくるみ、競合しているガス灯事業を駆逐していく際に買収した鉄管に通した。埋設にあたっては、パラフィンと蜜蝋を混ぜて酸化させたトリニダート産の上質アスファルトに高い絶縁があった。 エジソンが用いた三線式は直流+110[V]、0[V]、-110[V]として対地電圧を抑え、配管内には2本の電圧線を通し、鉄の配管を0[V]線として利用するものだった。受電端で220[V]を取り出すことができ、この三線化により二線配電網と比較しての使用量を62.5%に節約できた。 直流三線方式についてはホプキンソンも同じ考案を同年にしている。

トーマス・アルバ・エジソン

白熱電球の発明が有名だが電球そのものは電灯システムの一部にすぎない。電灯システムを機能させるために、エジソンのジャンボ発電機、エジソンの送電幹線と給電線、並列配電システムなどを発明している。 単独の機械ではなく大きなシステム全体といった発明を好み、ニュージャージーのメンローパークにエジソン研究所を建設して、ここにさまざまな分野の専門家を集めて指揮をとった。 彼と彼のスタッフの中でエジソンの役割は企業家であり研究・開発のマネジメントであった。 ゆえにエジソンは独立した一発明家というよりも発明会社の社長といった評価が適切であるといえる。 例えば電灯システムはガス灯に代わる技術であったが、ガス灯と電灯の消費者コストの比較は研究当初から念頭にあったという。 このあたりは学者でも技術者でもなく企業家である。

メンローパークの研究所に訪れたある記者から”メンローパークの魔法使い”と称えられ、この名が定着する。エジソンが次々と発明するものの魅力や驚異がこれを定着させたとみられる。 自己宣伝が上手で根は善人の中西部出身の魔法使いを主人公とした”オズの魔法使い”は”メンローパークの魔法使い”がモデルとなっている。

青年期にエジソン研究所で働いた自動車王フォードは言う。「アメリカが今世界の繁栄の頂点にあるのはエジソンのような人物を得たからである。エジソンの発明は幾百万の新たな仕事を生み出した。エジソンの貢献は全ての社会変革者、政治家の尽力を上回る」

直流電力の第一人者であるが、時代は多相交流に向かっていくことになる。1890年以降のエジソンは、電灯・電力開発とはほとんど関係ない分野の発明事業へ進んでいく。 1878年フランスのレジオン・ドヌール五等勲章、1889年レジオン・ドヌール三等勲章、1992年、大英帝国技術協会からアルバート勲章を受章。 1931年10月18日、「私は私の人生を生きた。そして私のできる最善のことを成し遂げた」と言葉を残し84歳の生涯を閉じる。 エジソンの葬儀の後1分間は、彼を惜しみ全米中の照明が消されたという。確かに成し遂げたと思う。比類ないほどに。

エジソンのスタッフたち


Last Update 2010/08/19

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