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J・J・トムソン (Thomson, Sir Joseph John)

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J・J・トムソンという人は

ジョセフ・ジョン・トムソン ジョセフ・ジョン・トムソン

イギリス 1856~1940

電子を発見

イギリスのマンチェスターで本屋の息子として生まれる。両親は幼少より科学に興味を示したJ・J・トムソンをエンジニアにするべく教育したそうである。14歳のときマンチェスター大学に入学し工学を専攻するが、のちに物理学に転向する。ケンブリッジ大学に20歳で入学して生涯をこの大学で過ごし、1884年、レイリーの後をうけてキャベンディッシュ研究所3代目所長に就任。28歳という異例の若さであった。

J・J・トムソンの主な経歴

1897年、電子の発見。 陰極線に静電偏向と磁場偏向をかけて、この両者の偏向から電荷と質量の比(e/m)を測定する実験を行う。この測定により、陰極線は磁界のみではなく電界による影響でも曲がること、電荷と質量の比がその放出手段や発生源にかかわらずほぼ一定の値を示すことや、放出される電荷の質量が水素原子の1/1000程度であること、負に帯電していること などを確認し、陰極線は荷電粒子の流れであると結論する。

陰極線については、荷電粒子であるとしたクルックスや、その貫通性から粒子ではなく電磁波の一種であるとするヘルツなど、その本質についての論議があった 。J・J・トムソンの実験により、陰極線は”分子や原子よりも軽量で負電荷をもった粒子が、ある条件下で物質から放射されていく”と一応の終止符うつことになった。

この陰極線の粒子をJ・J・トムソンはコーパスル(corpuscle:微粒子)と呼んだが、のちに電荷の最小単位と認められ”電子”と呼ばれるようになる。 当時は原子が物質を構成する最小単位であり、水素原子が最小の粒子であるとされていた。したがって、電子の発見は物質構成の基本概念を崩壊させることになる。

電子の発見と相まってX線と電子の関係、すなわち、物質に衝突した電子はX線を発生させるが、逆にX線を物質に照射するといかなる物質からも電子が放出されること、X線は気体中で荷電粒子(イオン)をつくり出すことを発見し、放電発光の原因に近づいていく。 電子はあらゆる物質から取り出せることから、電子こそ電気の基本素量であり、原子の構成と結びつくものとして確信を固め、以降J・J・トムソンは原子の内部構造を研究していく。

J・J・トムソンの原子モデル J・J・トムソンの原子モデル

1904年、プラムプディング模型と呼ばれる原子模型を提案。 原子は安定であることから、ある大きさの球状をしている。その中に正の電荷をもった非粒子状物質が一様に満ちており、かつ、原子は中性であるから球の内部には正の電荷を打ち消すだけの数の電子が存在し、電子はそれぞれ決まった半径をもつ多くの同心円周上に等間隔で配列されているという原子モデルである。 原子核をもたず、正電荷をもつプリンのような球のなかに電子(果物のプラム)が埋まっているというイメージである。

1906年、”気体内電子伝導の理論および実験的研究”でノーベル物理学賞を受賞。

ジョセフ・ジョン・トムソン

3時のお茶会は毎日開き、かつ、この場では研究の話題を認めなかったそうだ。J・J・トムソンの興味は多岐にわたり、天気・政治経済・文学・スポーツと、話上手、聞き上手であった。ゴルフを好み、自宅の裏に専用研究室をつくってゴルフボールの飛び方なんてことをを研究し、論文まで発表したらしい。 人生を楽しんだようである。

19世紀末から四半世紀にわたり、イギリスの原子物理学を牽引する。1884年にはロンドン王立協会の会員に選出され、1905年には王立研究所の自然哲学教授に就任し、1908年にはナイトの号を受ける。 1915年にはクルックスのあとをうけ、ロンドン王立協会会長に就任する。

1884年にキャベンディッシュ研究所の3代目所長に就任する。 当時キャベンディッシュ研究所は構成員が20人程度といった小規模な研究所であったが、J・J・トムソンが職を辞するころには200人を超えている。実験施設は高価である。優秀であればケンブリッジ以外にも研究所を解放するというJ・J・トムソンの思想であった。 キャベンディッシュ研究所におけるJ・J・トムソンの助手たちは優秀で、7人ものノーベル物理学賞受賞 者を輩出している。また、息子ジョージ・パジェット・トムソンも1937年にノーベル物理学賞を受賞した。

死の直前まで明晰な頭脳を保ち、所長を辞したあとも研究所内にラボをもらい自由に研究を続けた。第2次世界大戦勃発直後の1940年、ケンブリッジで静かに息を引き取る。愛弟子であるラザフォードとともにウエストミンスター寺院ニュートンの側で眠っている。

 

Last Update 2008/03/23

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