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アルバート・エイブラハム・
マイケルソン
アメリカ 1852~1931
光速度不変の原理を発見
現ポーランド領、プロイセンのステレルノに生まれ、2歳のときに一家でアメリカに移住した。 1873年、アナポリス海軍兵学校を卒業。光学や音響学に優秀な成績を残す。 マイケルソンの才能を評価したアメリカ航海暦編纂局長の援助でドイツ、フランスへ留学し、ベルリン大学とハイデルベルク大学、パリ大学で学び、ベリリンではヘルムホルツに師事する。 帰国後、1889年から1892年までマサチューセッツ州のクラーク大学物理学教授、1892年から1929年までシカゴ大学物理学部長を務めた。
1887年、有名なマイケルソン‐モーリーの実験を行う。 真空中の光の伝播の説明では、仮説媒体として当初はエーテルが導入されていた。 後に光の性質は縦波であるという説から横波に変わり、これが成立するためには媒体であるエーテルは、 極めて硬いという固体のような性質と、極めて希薄という性質を合わせ持たなければならなくなった。
マクスウェルの電磁波説から、エーテルこそまさに光と電磁波の共通の媒体であるという考え方が支配的になっていた。 しかし、エーテルが動くとすれば星の位置の光行差(観測点の差による観測結果の差)は現れないはずである。 実測では光行差が現れるので、エーテルは動かないはずであり、実験はエーテルは動かないものとして進められる。
ある場所を同時に出発した全く同じ2つの光の波が、異なる距離を同じ速度で往復したり、同じ距離を異なる速度で往復するならば、往復に要する時間に差を生じる。 このため、最初出発したときは重なっていた光の波形が往復して戻ってきたときに多少でもズレがあったのならば時間に差が生じたことになり、 このズレによって相互の波形は干渉しあい、干渉縞と呼ばれる模様が現れる。 干渉縞の測定から動かないエーテルに対する地球の速度を割り出せる予定であった。
マイケルソンの干渉計の原理
誤差ともいえる微小な干渉の有無を確認する実験であり、非常に高い精度が求められた。 マイケルソンはヘルムホルツのもとで干渉計について経験を積んでいた。 ドイツ時代に設置した干渉計は100m先の人間の歩行による振動で実験が失敗するというほどの精度であった。
この実験の重要性を評価され、ベルから財政援助を受けることができた。 外部の振動を吸収する配慮として、水銀槽に浮かべた木製の円板の上に石材を重ねこの上に干渉計を設置する。
実験の結果、ついに干渉縞は現れなかった。光については速度の加法定理が成立しない、つまり観測者の速度は関係なく、光速とは常に一定であるをいう事実を得た。 これは、それまでの常識を覆すものであった。 光を伝播する媒体であるエーテルの存在はこの光速度一定により否定され、光とは?という疑問はまた謎に包まれた。
この問題を解決したのがアインシュタインである。 アインシュタインはこの実験結果を原理とし、相対性理論を組み上げていく。 アインシュタインによってマイケルソンとモーリーの実験は実験から原理へと昇格した。
マイケルソンは超高精度な干渉計を用いてさまざまな測定を行っている。 長さの測定には光の波長を用いることが望ましいと提唱し、1960年に国際的に受け入れられた。 マイケルソンの死後になるが、光の波長から定義されたものに以下があげられる。
地球の潮汐、星の大きさや硬さなども干渉計を用いて測定している。 1907年、ノーベル物理学賞を受賞。 実験結果から得た光速は秒速29万9774kmであり、現在の値である秒速29万9792kmとはほとんどかわらない。
Last Update 2008/03/23
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