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サミュエル・フィンレイ・
ブリース・モールス
アメリカ 1791~1872
電信機の発明
モールス信号の生みの親
マサチューセッツ州チャールズタウンにイギリス移民の牧師の子として生まれ、エール大学を卒業する。 ロンドンで絵を学び、肖像画家、彫刻家として有名になる。
アメリカの一流画家である。 欧州の画廊を散策し、帰国の船内でたまたまC.T.ジャクソン博士と一緒になり、 博士の暇つぶしに電気や電信の実験談を聞かされる。 電気への興味は若い頃から持ってはいたモールスは、電気信号が瞬間的に回路を巡ることに興味をおぼえた。
1837年、電信機を発明する。電磁石を用いた最初の実用的な電信機の開発であり、ニューヨーク大学で500mの電線を張り、短点と長点の組み合わせによるモールス信号と呼ばれる電文伝送を公開実験する。 電信機の構造は、電磁石を用いて鉄片を引き、その運動を介して時計仕掛けのゼンマイの力で紙を送る機構を用いており、 巻紙の上に鉄片に連動するインクペンでしるしをつけるものであった。 同年、イギリスではクック、ホイートストンが電信機を発明している。
1843年、ワシントン~ボルチモア間約60kmの電信試験線を架設する認可を議会からとりつけ、30000ドルの補助金を得る。 翌年の春には開通した。 モールスの電信は、1本の電線をつたわる電気的パルスによってメッセージを送信する単純なもので、電気スイッチを指が押している間のみ電流を流すというものであった。
この発明を政府に100000ドルで政府に売却したかったモールスだが、当時政府は運河や巨大な鉄道敷設のために膨大な債権を発行したところであり、通信事業への本格的な投資には乗り出さなかった。 モールスはやむなく資本を募集し、電信線敷設のために”磁気電信会社”(Magnetic Telegraph Co.)を創立する。 1846年にはニューヨーク~ボストン間、フィラデルフィア~ピッツバーグ間、トロント~バッファロー間、トロント~ニューヨーク間を電信で結び、1847年にはニューヨーク~モントリオール間を電信で結んだ。
モールスの電信機
モールスの事業が成功すると、類似企業が続々と立ち上げられた。 これに対してモールスは、実業家シブレーの資金を得て、1845の電信会社を吸収・合併し、1856年には一大企業であるウェスタン・ユニオン電信会社を組織する。 モールス以外ではアトランティック・アンド・パシフィック電信会社などがあり、電信会社の巨大化が進行していった。
電信する文字の使用頻度を調査し、頻度が高いもの程簡単に発信できる符号としていた。 迅速な送受信が可能であり、1850年代には国際モールス信号が誕生し、世界標準として重宝することになる。
日本では、1926年に旧海軍が導入している。船舶などの通信では長く用いられてきたが、信号を文字に変換したり発信したりするのには訓練を受けた通信士が必要であった。 通信衛星の普及やデジタル技術の発展により、1996年、海上保安庁がモールス信号の使用を終了した。
1826年、ニューヨークにナショナル・アカデミー・オブ・デザインを設立し、その初代所長に就任。 1832年、ニューヨーク大学の絵画および彫刻の教授に就任。
Last Update 2008/03/23
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