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ノーベル (Nobel, Alfred Bernhard)

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ノーベルという人は

アルフレッド・バルンハート・ノーベル アルフレッド・バルンハート・
ノーベル

スウェーデン 1833~1896

化学者であり実業家

ダイナマイトの発明

ノーベル賞の提供者

ストックホルムに4人兄弟の3番目に生まれる。父がロシアのペテルブルグで火薬工場を作った関係で一家でペテルブルグに移り、ここで教育を受ける。 1850年から1852年にかけてアメリカやフランスへ留学し、機械工学を学ぶ。 ペテルブルグに戻り、爆薬製造事業を営んでいた父のもとで働いた。 1859年にスウェーデンに帰国し、ニトログリセリンの製造工場を興したが、1864年の工場爆発で弟エミール・ノーベルと助手を失った。

ノーベルの主な経歴

1866年、ダイナマイトを発明する。 ニトログリセリンはイタリアのアスカニオ・ソブレロが発見した新しい火薬であった。 爆発力は強いが、その爆発は安定したものではなかったため、取扱いが安全で、爆発させたいときには必ず爆発するようなニトログリセリンが求められていた。

ニトログリセリンは高温では危険であり、製造の際は氷で冷やす必要があった。 白金板の上で熱したり、熱した白金線を入れたり、金槌でたたいたりすると爆発を起こした。 ノーベルは導火線を用いたり、当時主流の火薬であった黒色火薬にニトログリセリンを混ぜ込んだりとさまざまな工夫を凝らすが、なかなか満足のいく結果を得ることはできなかった。

ニトログリセリンの混ぜ物を探していたノーベルは、珪藻土の利用を思いつく。 珪藻土はニトログリセリンを運搬する際に、容器に振動を与えないための詰め物として使用していた。 ある日容器が割れ、ニトログリセリンが漏れたことがあった。 ニトログリセリンは珪藻土に吸収されて固まっており、爆発の気配はなかったことを思い出したのである。

珪藻土とはケイ藻と呼ばれる微生物の殻が集まってできたものであり、スウェーデンの湖にはこれがたくさんあり、入手は容易であった。

珪藻土にニトログリセリンを吸収させる実験を試みたノーベルは、その吸収力に驚いた。 珪藻土は3倍の量のニトログリセリンを吸収し、粘土程度の硬さに固まった。 爆発させてみると他の混ぜ物を使用した場合とは比較にならない爆発力を示し、さらに安全性では、高所から落下させても、金槌でたたいても、雷管なしでは爆発しないことを確認した。 敏感で、扱いが難しいニトログリセリンに比べて発明したそれは、雷管を抜いてさえおけば爆発しないという取り扱いが容易で安全なものであった。

当時は鉄鋼業や土木工事、特に鉄道網を広げるため、岩を爆破してトンネルを掘るために強力な爆薬が求められており、ノーベルの発見は時を得たものであった。 珪藻土1:ニトログリセリン3の割合が爆発力が最も強く、かつ、硬さが適当であることを確認し、 この新しい火薬にギリシャ語で”力”を意味するダイナマイトと名を付け、世界各地に火薬工場を設立して巨利を得た。

アルフレッド・バルンハート・ノーベル

独身で子供がいないこと、彼の火薬が戦争で猛威を振るっていることへの後悔の念から、有名な遺言を残した。 遺言により900万ドルにものぼる遺産のほぼ全額を基金として、ノーベル財団が設立される。物理、化学、医学・生理学、文学、世界平和の5部門に寄与した人たちを毎年表彰するノーベル賞が設立された。

ノーベル兄弟

弟エミールは事故で亡くしたが、兄ローベルト、ルドウィッヒともに素晴らしい才能の持ち主であった。 ローベルトとルドウィッヒは協力してカスピ海沿岸のバクー油田を開発し、大規模な製油所と開発する。 1876年には世界初の石油パイプラインを完成し、1877年には世界初の石油タンカー”ゾロアスタ号”を完成させている。 1878年、ノーベルも兄たちの事業に参加し、ノーベル兄弟石油会社が発足する。 ノーベル兄弟はロシアの石油産業の生みの親でもある。

Last Update 2008/03/23

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