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ウィルヘルム・コンラド・
レントゲン
ドイツ・ケルン近くのレンネプという小さい村に生まれ、1848年、オランダに移住する。 スイスのチューリヒ工科大学で博士号を取得し、また、クントに出会い、彼の助手になる。 1879年、キーセン大学教授に就任。1888年、ヴュルツブルグ大学教授に就任。 ヴュルツブルグでは物理学の学長を務め、X線の研究はここで行われた。
1895年、X線を発見する。 陰極線がクルックス管のガラス壁にあたると、ガラスが緑色に発光する。 クルックス管の近くに、ある種の化学物質を置くとガラスよりも明るく光った。 冷光現象と呼ばれる現象だが、レントゲンはこの現象に強い興味を持っていた。
冷光現象を観察するため、クルックス管を薄いボール紙の箱に収め、なおかつ部屋を暗くした。 暗くすることで冷光現象の観察を容易にするつもりであった。
陰極線を放射したところ、予想外の場所が光った。陰極線管からかなり離れたところにシアン化バリウムを塗った紙が置いてあり、紙が光っていた。 シアン化バリウムは当時、陰極線の光検出用に用いられた蛍光体である。 陰極線はボール紙の箱に収められており、この紙には届いていないはずであった。
装置の電源を切ると、紙の発光は止まった。 電源を入れると再び発光した。目には見えない何かが装置から放射されていることは明らかであった。 紙を持って隣の部屋へ行き、ドアを閉め、ブラインドを降ろしてみても装置の稼働中は紙の発光がやむことはなかった。
この不思議な放射線は発見者を記念して”レントゲン線”と命名される。 しかし、レントゲン本人は、物体を透過するというこの未知の性質に敬意を表し、数学で未知数を表す”X”をとって”X線”と呼んだ。 X線との一般的な名称はこうして発見者により名づけられた。
人間の目で見ることのできなかった物体内部を透視する光線の発見であり、一大センセーションを巻き起こした。 この発見は物理学の枠を超え、医学、工学その他多くの科学分野で新しい扉を開く鍵となる。
ヘルムホルツによれば、「マクスウェルの理論が正しければ、非常に短い波長の光は物質を透過するであろう」と述べていた。 X線を発見した直後レントゲンは、7週間もの間不眠不休の実験を続け、ウェツルブルグの医学、物理学会に”新しい種類の放射線”という発表をする。 突飛な内容であることは誰よりも本人が自覚しており、「これを発表したら、気が狂ったといわれるだろう」と妻に漏らしていたそうである。 レントゲンの危惧は一部では的中したが、時と共にその真実性が評価されていく。 1901年にノーベル賞が設けられ、レントゲンは史上初のノーベル物理学賞受賞者となった。
ノーベル物理学賞以外の受賞はすべて断り、フォン(Von)の称号を授けるとのババリア国王の申し出も断った。 ヘンリーのように科学は人類が広く自由に利用すべきものとして、X線について、いかなる特許も取得しなかった。 レントゲンの後半生は貧しく、加えて第一次世界大戦の余波によるインフレのなかで、困窮のうちにこの世を去っていった。
Last Update 2008/03/23
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