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スタインメッツ (Steinmetz, Charles Proteus)

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スタインメッツという人は

チャールズ・プロチュース・スタインメッツ チャールズ・プロチュース・
スタインメッツ

アメリカ 1865~1923

交流回路理論の確立

三月革命中のドイツに生まれ、17歳でブレスラウ大学に入学する。 電気工学に興味をもっていたのだが、当時のドイツは農業国で電気工学の講義はなかった。 在学中は社会主義を信奉し、反政府運動に積極的に参加する。 後に社会革命運動に身を投じるが1888年には政府に検挙されそうになってスイスに亡命し、チューリヒ工科大学で機械工学を学ぶ。

1年間のスイス滞在の後、新興工業発展国であったアメリカへ移民として渡る。 三月革命のためスタインメッツよりも先にアメリカに亡命したアイケマイヤーのもとへ身を寄せ、1889年、アイケマイヤー=オスターヘルト社に製図工として就職する。

スタインメッツの主な経歴

1891年、ヒステリシス損の法則を発見する。 アイケマイヤーから交流電動機開発を任せられ、磁気ヒステリシスとうず電流を解析する方程式を実験から導きだした。 つまり、H=ηB1.6である。 強磁性体のヒステリシス損失が最大磁束密度の1.6乗に比例するという法則を発見する。

スタインメッツとエジソン スタインメッツとエジソン

1893年、帽子製造機械と電動機の開発をしていたアイケマイヤー=オスターヘルト社はエジソンのゼネラル・エレクトリックに吸収される。 スタインメッツはGE社計算部門の一員となった。

1893年、交流回路理論を確立する。 8月の第5回国際電気会議で交流回路の解析に複素数の代数を使うとした論文を発表した。

交流現象を包括した形でのキルヒホッフの法則が一般化されており、複素量を”実効値”の概念を導入することによって代数的に処理するものである。 ナイアガラ交流発電所建設にあたっての送電実験でもその有効性が確認され、この方法によってスタインメッツによると、電気工学の理論的諸問題はもはや既知の認識理論体系の範囲に到達し”究められた科学”になった。

数学を応用して交流機械や回路の問題を解決していくスタインメッツの手法は他の技術者にとって啓蒙的なものとなった。

1901年、AIEEの会長に就任する。

チャールズ・プロチュース・スタインメッツ

一匹狼の技術者であったスタインメッツはGE研究所の所長を辞退し、コンサルティング・エンジニアリング部門という、社内の他部門や顧客に助言を与える部門を設けた。 重要な問題としてはシカゴ送電システムのコロナ効果による電力損失を顧客からの依頼で対処し、問題を突き止めるために回路方程式を用いてシステムのモデルを作ったりしている。

スタインメッツの工学的な貢献として以下の3つが主にあげられる。

  1. 過渡現象を解明した

    2000kVのパルス発生器を使って実験を進めると同時に得意の数学を駆使して送電線の過渡現象理論をつくりあげた。

  2. 設計法をかなり明瞭にした

    アイケマイヤーの工場で働いていた時代に解明したヒステリシス法則とあわせて、交流機器の設計や実際の送電システムの設計法をかなり明瞭にした。

  3. 工学的手法を確立した

    三相交流回路計算への複素数の導入によって、工学的手法を確立した。

 

Last Update 2008/03/23

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