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テスラ (Tesla, Nicola)

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テスラという人は

ニコラ・テスラ ニコラ・テスラ

アメリカ 1857~1943

多相電力システムの発明

オーストリアのグラーツ工業大学で工学を学び、23歳のときプラハ大学で学業を終える。 驚くべきスタミナの持ち主で、エジソンの機械工場に勤めていた頃には毎朝十時半から翌朝五時まで働き、これを9ヶ月続けたという。エジソンに「お前にはとてもかなわない」と言われたという逸話がある。 お返しではないが、エジソンに対してはこんなことを言っている。「もしもエジソンが干草の山から1本の針を見つけなければならないとしたら、彼はすぐさま働きバチの勤勉さで干草を1本1本調べにかかり、ついには目的のものを見つけ出すだろう」

エジソンと働いた経験のある多くの人が「もし、エジソンに科学理論を応用する度量があったならば、90%の努力は節約できたであろう」と言うが、テスラも同意見のようだ。

学生時代の実験で、発電機のブラシと整流子から強烈なアークが出ているのを目撃した。これがブラシや整流子のない発電機を開発したいと思うきっかけになる。なぜかゲーテのファウストを暗記しており、一節を口ずさんだとき多相システムのヒントがひらめいたらしい。 パリのエジソン社に勤め、1884年に渡米、ニューヨークのエジソン機械工場に勤める。 悲願であったブラシや整流子のない機器の開発には多相発電機が必要だったが、当時は直流電力が主流でありエジソンは「壮大だが、非実用的」といって交流には関心を示さなかった。

テスラの主な経歴

1884年、バチェラーの紹介状を持ってエジソンのもとへ渡米する。 すぐさまエジソンの発電機を安価で効率の良いものに改良したいと詳細なプランを提示し、エジソンは成功報酬で5万ドルを約束する。 寝る間を惜しんだ1年後、見事に改良された発電機をエジソンに差し出して報酬を要求すると、「テスラ君、君は我々アメリカ人のユーモアがわかっていないね」だそうだ。 週給18ドルであったテスラに10ドルの増額を申し入れたエジソンにあきれ、独立を決意する。

テスラの2相機 テスラの2相機

1887年、2相誘導電動機を発明する。 電機子からスリップリングを介して電力を渡していたものが、固定子で渡せるようになった。 多相を必要としたのは回転磁界を生むためであり、磁界の位相より電機子の位相が遅れることからトルクが生じた。 ここに誘導モーターが誕生する。 2相誘導電動機はテスラのほかに、フェラリス、ドブロウォルスキーがそれぞれ独自に発明しており、ドブロウォルスキーは3相機器と3相配電方式を発明していく。

テスラの2相誘導電動機回路

テスラの2相誘導電動機回路


1888年、ウェスチングハウスと特許の将来買取権を含めた契約をする。 1年間ウェスチングハウスの技術陣とともに市販できる多相電力システムの開発のため働き、こんな言葉を残している。「ウェスチングハウスさん、あなたはずっと私の友人で、ほかの人間が私を信用しなくても、あなただけは信じてくれた。あなたは勇敢にも前に進んだ...他の連中には前に進む勇気がなかったのに。あなたの技師たちに先見の明がなくて、あなたや私に見える大きな目標が見えなかったときも、あなたは私を支持してくれた。あなたは友人として私に味方してくれた」

技術者ではシュミットとスコットだけが彼の味方だったという。 スタンリー同様ウェスチングハウスのもとを離れ、独立した発明家へ戻っていった。

ニコラ・テスラ

多相開発で活躍した後は、無線電力輸送や無線通信といった分野へ乗り出していく。

磁束密度の単位・テスラ

現在テスラの名は、磁束密度の単位テスラ[T]として、SI組立単位に残っている。

Last Update 2008/03/23

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