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ジェームス・ワット
イギリス 1736~1819
実用的な蒸気機関の発明
スコットランド、港町グリーノックの船大工の家にニューコメン没後7年目に生まれる。 火にかけたヤカンのふたがカタカタと音をたてて動く様子から蒸気に興味を持ったと伝えられている。 家業を継ぐ予定であったが船を海で失い散財する。 器具製造のギルドに加入するにはワットは年をとりすぎていたので、ロンドンへ理学機械製造の修行に赴く。
1756年に帰郷するが、グラスゴーでは出店の許可が下りなかった。 しかし大学は出店に関する規定から外れており、ワットは21歳でグラスゴー大学内に先生を主な顧客とした科学機械の製造修理店を開くことができた。 潜熱を発見した同大学のブラック教授と親交を結び、ニューコメン機関の改良に取り組んでいく。
1765年、ワットの蒸気機関を完成させる。 ワットがニューコメン機関の大きな欠点と考えたのは、一つのシリンダの中で蒸気と冷却水の両方を扱う点であった。 ニューコメン機関では蒸気を注入して沸点にまで温度を高めたシリンダーを、蒸気を凝結するために冷やしている。 実験から、ピストンが一往復する間にシリンダーに送り込んだ蒸気の4分の3が水に戻ってしまうという事実に気がついた。 冷却されたシリンダーは再び沸点にまで温度を上げなければならず、これは膨大な熱を無駄遣いすることになる。 冷却器を別置して、シリンダでは高温蒸気のみを扱うとすれば大きな節約ができると考えた。 これは実験モデルの完成であり、実用モデルを完成させるためにはワットには賄えない多額の資本と、ウィルキンソンの発明を待たねばならなかった。
1768年、キャロン産業企業体を築いていた鉱山主のローバックから援助を受けるようになる。 ローバックは鉱山の排水に悩まされており、鉱山用のポンプに強い興味を持っていた。 ニューコメン機関よりも強力な機関を必要としていたローバックのもとで、ワットは最初の大機関を作成した。
大機関の作成により、ピストンの機密性の不足をはじめ、いくつかの欠陥が見出された。 ワットは様々な工夫でこれらの乗り越え、ついに”分離凝縮器つき蒸気機関”の特許を取得する。 ワットの発明の有用さを認めていたローバックは熱心にワットを援助したが、鉱山浸水のために破産してしまう。
1774年、バーミンガムに赴いたワットは大きな機械工場をもつボールトンと手を組むことになる。 ワットがボールトンの実用機関をつくるにあたって、最大の障害は円筒シリンダーの製作であった。 1775年にウィルキンソンが中ぐり盤を発明し、これによってシリンダーの精度が向上した。
ウィルキソンの円筒中ぐり盤
1775年、ボールトン・ワット商会が設立され、蒸気機関の製造が始まった。 石炭消費量はニューコメン機関に比べ4分の1程度まで下がり(それでも熱効率7%程度)、 この低コストは各分野の工場で注目され、注文が殺到する。
当時の動力としては馬を用いることが多かった。 ワットは馬の力を「1頭の馬は1分間に3万3千ポンドを1インチ上げることができる」と定義し、蒸気機関の料金を算出した。 ちなみに1[馬力]は746[W]であり、初期の蒸気機関は50[馬力]程度であった。
ワットのロータリー
steam wheel
1781年、回転蒸気機関を開発する。 ニューコメン式を引継ぎ当初はピストンが前後する往復運動のみであったワット機関であるが、顧客の需要にこたえるため回転機関へと変貌をとげていくことになる。 これまでの水車や風車といった動力は、エネルギーを自然から得るため安定していなかった。ワットの蒸気機関は石炭を燃焼させればいつでもどこでもその力を利用できた。
回転機関となった応用範囲の広いワットの蒸気機関は、様々な作業や機械の動力源として利用され、最初の近代的原動機となる。 驚いたことに回転機関の第一案はロータリーエンジンであった(特許がらみの理由から)。
安全性の問題から圧力は大気圧とすることにこだわり、高圧蒸気の使用には反対の立場をとった。 高圧蒸気の使用は現在では常識だが、ここに至るにはワットの指摘どおり多くの犠牲を必要とした。
ワットの
遠心調速機
ワットにより汎用性を得た蒸気機関はイギリス産業革命の原動力になり、後に”蒸気機関の18世紀”と評されるようになる。 ワットの蒸気機関には遠心調速機が取り付けられ、これが世界初のフィードバック制御となる。 1804年にはレールを走る蒸気機関車が発明され、1825年には世界最初の鉄道営業運転(電気鉄道の祖はジーメンス)がストックトン~ダーリントン間で開始された。
ロンドン王立協会の会員に選出され、グラスゴー大学の法学博士号を授けられるなど、多くの栄誉を受け、1819年に83歳でその生涯を静かに閉じた。 蒸気機関の完成は熱力学の理論によらず、純粋に技術力の勝利であった。 ウェストミンスター寺院にはワットの大理石像が残されている。
現在ワットの名は、仕事や電力の単位ワット[W]として、SI組立単位に残っている。
Last Update 2008/03/23
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