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エコール・ポリテクニク (Ecole polytechnique)

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エコール・ポリテクニクとは

ナポレオン曰く「黄金の卵を産む雌雉」

世界初となる高等科学技術者の養成機関

フランス革命によって国王を処刑した後のフランスは、他のヨーロッパ諸国からの激しい攻撃にさらされるなかで技術の有用性が再確認されていった。 国民公会は新たにいくつかの学校を創立し、なかでも重要な位置を占めたのがエコール・ノルマルと、この上に位置する選りすぐりを集めたエコール・ポリテクニクであった。 1794年、初代校長に数学者ラグランジュ、教官に数学者で技術者のモンジュ、化学者ベルトレ、数学者で物理学者のラプラス、数学者ルジャンドル、化学者で医学者のフルクロア、化学者シャプタル、数学者フーリエなどという豪華な顔ぶれで開校する。

イギリスを中心に反仏同盟を結んだヨーロッパ諸国にたいし、フランスは火薬、ソーダ、鋼、などの軍事物資を自給しなければならなかった。しかし、即戦力となる技術者は先のフランス革命で多くが亡命してしまっており、技術者の育成は急務であった。

エコール・ポリテクニクの入学選考は数学を中心とした厳しい競争試験に基づいて行われ、学校では徹底した実力優先主義が重んぜられた。 実力主義とはいうものの、厳しい入学試験を勝ち抜くには入念な準備(受験勉強)が必要であり、結果として個人授業を受けることができる裕福な中流階級からの合格者が大多数を占める。 御しにくいが知性に優れ、意気に燃える若者たちが集まり、実用への応用を優先した数学教育に力を注ぎ、軍事訓練が施された。 修業年限3年。授業料無料。当初は全学生に奨学金が支給された。

革命によって生まれたエコール・ポリテクニクは、もともと共和主義である。 ナポレオンが帝政に方針を転換した際には当然の衝突があった。 科学に対し尊敬の念、少なくとも実用面で重要な役割を果たすことをわきまえていたナポレオンは、 自分に対して反抗的な学生たちからの支持と熱狂をあおろうと、エコール・ポリテクニクの視察を行っている。

エコール・ポリテクニクを視察するナポレオン

エコール・ポリテクニクを視察するナポレオン

 

外国からも注目されたエコール・ポリテクニクは、ドイツ、スイス、アメリカをはじめとする各国の技術学校・高等工業学校・工科大学のモデルとなった。

エコール・ポリテクニクの主な出身者たち


Last Update 2008/01/29

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