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フランス学士院を構成する団体の一つ
1620~1650年頃のフランス科学者たちは弁護士のピエレスク・モンモールや、托鉢修道士であるメルセンスのもとで集会を開いていた。とくにメルセンスはヨーロッパ科学者の中継者的な役割を果たしていたのだが、やがてこの集会は財政困難となっていく。
1663年、財務総監であったジャン=バティスト・コルベールの尽力により国から援助を求める活動が行われる。コルベールの推し進める政策に貿易と技術的生産性を高めるという重商主義があり、この活動は政策と合致するところが大きかった。 フランス国内の科学研究を活性化させ保護するべきであるとの言葉に動かされた太陽王ルイ14世によって、1666年、科学アカデミーは創立される。 アカデミーには、国王の文庫の中の部屋がいくつか割り当てられ、実験研究を共同で計画・実行したり、議論を行なったりする場として使用された。
最初にアカデミー会員として任命されたのは、天文学者、解剖学者、植物学者、化学者、幾何学者、工学者、医師、物理学者からなる22名であった。 このなかには、唯一の外国人であるクリスティアン・ホイヘンスも含まれている。 ルイ14世から下賜された12,000リーブルという潤沢な基金のもと、様々な実験プログラムが行われた。 パトロン会員の会費によって成り立っていたロンドン王立協会とはこの辺りがずいぶん違う。
ロンドンの王立協会が名前だけの王立であるのに対し、フランス科学アカデミーは政府機関として国から俸給を受け、会員は職業として研究ができる立場となったのである。 常勤会員のランクは正研究員、準研究員、助手の3つに分けられ、正・準会員には俸給が与えられた。といってもこの収入のみで生計を立てることができるほどではなく、他に仕事をもっていた会員が多い。当初はパリにて非公式な活動を続けていたが、1699年に正式に王立と認定され、本部はルーブルに設置される。
17世紀から18世紀末まで、ヨーロッパにおける科学研究の最前線として機能していた。 研究員は各自が選択するテーマの研究が基本的には認められ、国内における技術特許の審査をも行っていた。 フランス革命期の1793年、国民公会によるアカデミー廃止にともない一時廃止されるが、1795年にフランス学士院の一つとして再建された。
王立図書館におけるフランス科学アカデミーの会合 後方に玉座がある
Last Update 2008/01/29
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