電気史偉人典では電気の歴史に名を残す偉人たちを紹介しています
| 前へ | < | 用語集 | > | 次へ | ホーム | > | 用語集 | > | 王立研究所 |
1799年、実用的な科学知識を普及させて、貧者と労働者の生活を改善するための科学施設をロンドンに設立するというランフォード伯(ベンジャミン・トンプソン)の呼びかけで、 90人の貴族から50ギニーずつの寄付金を資本として設立される。科学者の寄付者はキャベンディッシュのみであった。
当時のイギリスは、フランス革命、産業革命の影響が大きく、特に産業革命によって貧富の差が拡大していた。 1796年には”貧者の生活条件を向上させ、安楽を増進するための協会”なる、ズバリ”貧者”などという単語が組織名に含まれる協会が結成され、 さらに活動目的は貧富の差という社会現象を解消するというのではなく、貧者に施しを与えるなどという傲慢な組織の施しの一つとして王立研究所は設立された。
研究所設立にあたり大きな影響をもったのが当時のロンドン王立協会会長であったバンクスである。 もしバンクスがこの計画に反対の姿勢をとっていたならパトロンの数は激減していたであろうし、いくつか現れた研究所のなかでここだけが王立たりえたのもバンクスとの結びつきがあるゆえに王が認可したとされている。 王立との名称ではあるが、設立当初は一部の世襲オーナーが存在していた。 また、パトロンの出資により成り立っているという事情もあり、第一の存在意義はパトロンを満足させること、第二が実用的な科学知識の普及、と研究には不向きであった部分もないではない。 しかし最高の立地条件と当代一の充実した設備、十二通りの設計案があったという収容1000人を誇る講堂をもつこの研究所は、ファラデーなど多くの偉大な科学者を輩出することになる。
19世紀末の王立研究所の講堂
1810年、王立研究所は再組織される。政府の各部門に王立研究所が他の研究機関よりも廉価で利用できる旨の回状を回し、世襲のオーナー制を廃止する法案を国会で通過させた。 多くの地主貴族は去り財政は逼迫したが、以後の研究テーマは地主に有利なものではなく、有名なデービーの安全灯とか、国会議事堂の換気とか、国家的なものになっていく。
1845年、ファラデーは王立研究所の目的を次の3つにまとめた。
王立研究所はその科学的名声を保持すること
会員に喜ばれる講演を提供すること
教授は研究の自由と独立性をもつこと
教授は研究の成果が有用であるかとか、会員に気に入られるかを気にしなくていいのだとするものである。 1849年、ファラデーにより、「何にもまして研究所の真の目的は”科学それ自身のための科学の進歩”であるべき」とされ、 1851年の事業趣意書にはファラデーのいう第三の項目、科学研究の推進が最優先されることになった。 それまでの教授は自身の研究は業務ではなく私事であったが、以降の教授は研究に専念できる環境が整った。
Last Update 2008/01/29
Copyright(C) 2006-2008 電気史偉人典 All rights reserved